2017年1月28日土曜日

「この世界の片隅に」を観る

久しぶりに映画館へ足を運びました。巷で評判の映画「この世界の片隅に」を観に。

近所の「布施ラインシネマ」は適度に空いていて(土曜日でこの観客数で大丈なのかと心配になるくらい)、特等席での鑑賞。

昭和10年代~20年代、すなわち戦中、戦後の呉・広島を舞台にしたアニメ。

当時の庶民の生活(文化も含めて)がそのまま描かれていて、評判どおりの素晴らしい映画でしたね。
映画が始まったときは、今まで見てきたジブリアニメに比べて、線が大雑把だったり表現がいかにも「マンガ」っぽいところが目について、予算がないのかなあなんていらぬ心配をしたりしましたが。
それはほんまに「いらん心配」でした。
画像の質と映画の質とは、関係ないのですね。
確かに画像が綺麗だとそれだけで「見せられる」のですが。
そうでなくても、伝えようとするものは伝わるのだなあ。

苦しい、悲しい時代でも、なんとか楽しく生きようとする市井の人たちの姿に、なんだか心打たれました。
年取ってきて(この映画も夫婦50歳以上割引で観られるくらい)ちょっとしたことにも感動してしまうようになってきたのですね。ちょっとした場面に、思わずぐっときてしまうことが二度三度ならず。

ユーモアとシリアスと、悲惨さと面白さと、ファンタジーと現実と。いろんなものがとてもいいバランスで表現されていて、とてもいいなあと思います。
主役ののんは、はまりすぎ! 他には考えられない配役でしたね。
観終わったあとに、映画の中のファンタジーにしばし浸っていたい気分にさせられました。

2017年1月23日月曜日

【いい人になる方法】ニック・ホーンビィ(森田義信訳・新潮文庫)

アメリカは多民族国家だし多様性を標榜してきたのだから、これからもそういう国であってほしいと、海のこっちがわからだけど、親しい間がらなんだしということで、そんなふうに思うのです。

【いい人になる方法】ニック・ホーンビィ(森田義信訳・新潮文庫)

女医のケイティの夫デイビッドは、新聞のコラム欄に毒舌コラムを載せる仕事をしている。もちろん家の中でも何かといえば皮肉と毒舌。医局では「常連」患者に心を悩まされ、二人の子供にも手を焼くケイティは、あまりの苦しさについ離婚も考え始めている。
と、そんな時、腰痛を治そうと怪しげなヒーリングに出かけたデイビッド。帰ってきたら信じられないくらいの「善人」となってしまい、ホームレスを家に泊めてあげる、ヒーリングをしてくれたグッドニュース(そういう名前なのだ)も家に住まわせる、子供のおもちゃも福祉団体に寄付してしまう。
あまりの善人ぶりに、逆に頭がおかしくなっていくケイティなのであったが。

「アバウト・ア・ボーイ」の原作者、というと映画を見た人にはピンとくるだろうが、皮肉と諧謔とアイロニーと、などなどが入り混じり、そこにユーモアもプラスされて、さらに語り口も「いかにも」というものがあって、クスクスとしながら読んでしまいます。

それでいて、終盤の「マヌケのブライアン」をディナーに招待する場面では、シリアスな問題も明らかにされて。普段、どれだけ自分たちが「善人」の仮面をかぶっているのかを思い知らされる気分でした。


【ソングブック】ニック・ホーンビィ(森田義信訳・新潮文庫)

そんなニック・ホーンビィの、音楽案内。というか、好きな曲が「なぜ好きか」を綴ったエッセイのようなもの。どの曲にどんな思い出があるか、というのはほんのつまみだけで、本題は「好きなんだよ、仕方ないじゃあ」ということ。元の曲を知っていたら、もっと楽しいのだろうけど。でも、知らなくてもニック節が楽しめます。好きな人は。

2017年1月18日水曜日

【書記バートルビー/漂流船】メルヴィル(牧野有通訳・光文社古典新訳文庫)

【書記バートルビー】

1800年代のアメリカ、ウォール街。弁護士事務所に雇われたバートルビーは、書類の写しの仕事を淡々とこなす。しかし、いざ確認(読み合わせ)の段階に入ると、
「わたしはそれをしない方がいいと思います」
と言って、自分の部屋に閉じこもる。さらに他の用事をいいつけても、
「しない方がいいと思います」
と言ったきり、実際何もしようとしない。そのうち、写しの仕事すらやらなくなり、ただそこに存在するだけの人間になってしまう。

なんとも奇妙な物語。「ジニ」とは正反対に、あらゆることに無関係になろうとするバートルビー。さらに奇妙なことは、雇い主である語り手はそれをどうすることも出来ず、訴えようとすると、逆に良心の呵責に襲われてしまう。それはなぜなのか、本人にも説明がつかないのである。

人間の精神の奥底を覗こうとするメルヴィルの作品、ということから考えると、私達の心の何処かにバートルビーがいるのかもしれない。などという深読みが、どこまでも出来てしまう作品。


【漂流船】は、ある港に漂着した船で起こる出来事を描いた、一種のサスペンスもの。こちらは変わった話ではないが、後日談がだらだらと続くのがメルヴィル流。

【ジニのパズル】崔実(チェ・シル)(講談社)

前回の芥川賞候補作ですね。「コンビニ人間」と評価を二分したらしいです。

在日韓国人三世のジニは、小学校を卒業すると、当然のように朝鮮学校へと進学。しかしそこにも(というか、どこにも)自分の居場所が見つけられないようなジレンマに陥ってしまう。そこでジニがとった行動とは。

書き出しの部分で、どうやらこれは叫んでも叫んでもその叫びを無視される悲しみの物語かなと予想はするのだけれど、読み進むうちにそんな単純な物語ではないことが分かってきます。
なんだか矛盾いっぱいの主人公の行動に、初めは「なんで?」と思うけれど、だんだん共感してきて、ついには応援してしまうのですね。筆の迫力に圧倒されますね。

先だって、「また、桜の国で」で、第二次大戦中のポーランドのことを読んで、いやあまだまだ知らんことだらけやなあ、遠い国のことは分かってないことが多いなあと思ったけれど、実は近くの国の、現在のこともあまり良く分かっていなかったのだなあと反省。いや、反省なんかしないけどね。でも、ついつい「見たくないものはなかったことにする」癖がついてるなあと、これは素直に反省します、はい。

これが受賞してもよかったかな。文句なしの作品。これから語り継がれていくべき作品かもしれません。頑張れ。

2017年1月17日火曜日

【いにしえの光】ジョン・バンヴィル(村松潔訳・新潮社)

60代半ばの、ほぼ引退状態にある舞台俳優が、思い出し語りに綴る、少年期の恋。15歳のひと夏、彼は友人の母親と関係を持ってしまうのだった。しかしその一家は秋とともにどこかに去っていったままだった。
時を経て、初の映画出演のオファーを受けた現在の彼は、映画の調査員に、友人の母親を探してほしいと頼むのだった。そして明らかとなる事実。

あらすじだけを書くと、なんともない「若気の至り」「少年期のロマンス」といった感じになってしまう。こういう筋書きは、何度となくお目にかかったよなあと、書きながら思ってしまう。
しかし、この作品のもう一つの面白さは、「間違った記憶」「都合のいい思い出」として語られる物語だ。
主人公の語りは、「確か夏だった。落ち葉を踏みしめて歩いた。ということは秋だったか」という具合に、その記憶は心もとない。それを本人も自覚している。
さらに物語の時系列はあちらへ飛びこちらへ飛び、同じ場面が何度か出てきて、その度に違った情景になっていたりする。
また、本人にとって都合の悪いことは、わざと語られないようだ。娘は精神が不安定だったらしい。パリに留学していたらしいが、なぜかイタリアで自殺をしたようだ。理由は最後までわからない。その影響で、妻も少々心を病んでいる。というようなことは、ちょっとしたほのめかし程度に出てくるだけ。実はそれがこの主人公の心をも蝕んでいるのかもしれないのに。とも読み取れる。

ありきたりのようなロマンス話の裏に、「私たちは自分の記憶を、都合よく書き換えているのですよ」と諭されているようで、ぎくりとする。

【四人の交差点】トンミ・キンヌネン(古市真由美訳・新潮社)

フィンランド北部の町を舞台にした、四人の物語。
19世紀の終わりに、助産師として町にやってきたマリア。まだお産による母子死亡が多かった時代。そして「助産師」に対する偏見。さらには助成に対する偏見。その上マリアは、未婚の母となる。
ひとり娘のラハヤは、写真技師となる。母と同様、未婚のまま第1子を出産。周囲の好奇と批判の目をはねつけつつ生きていく。その前に現れた、偏見とは無縁のような男オンニと結ばれ、やがて出産。しかし生まれた子ハンナは、生まれつき目が不自由であった。
その後生まれたヨハンネスは、カーリナという娘と結婚し、一人暮らしとなったラハヤと同居する。頑固な(特に「家」に関して)ラハヤと衝突を繰り返すカーリナ。しかし、ラハヤとのどこか通じるものがある。

と、ここまでで「マリア」「ラハヤ」「カーリナ」を中心とした物語が語られた後、最後の1章が「オンニ」の物語となる。ここで、それぞれの人生の時系列が再び組み直され、隠されていた秘密が明らかとなる。

フィンランドというと、雪とムーミンぐらいしか思い浮かばないが、実は複雑な歴史を持っているのだ(第2次大戦で、はじめはドイツとともに戦うが、ソ連に占領されてからは、同じ軍隊がこんどはドイツを相手に戦うことになる)。さらに(半分ネタバレになるけれど)、ごく最近まで、同性愛は刑事罰の対象となっていたらしい。

様々な偏見と戦う、あるいは逃げる、どんな選択もその人の選択なのだろう。しかし、今の目で見ると、実に悲しいことである。

2017年1月14日土曜日

【終わりの感覚】ジュリアン・バーンズ(土屋政雄訳・新潮社)

2011年度ブッカー賞受賞作。

【終わりの感覚】ジュリアン・バーンズ(土屋政雄訳・新潮社)

引退生活を送っているトニーの元に届いたのは、記憶の彼方にある未亡人からの遺言と遺産。彼女は、学生時代の恋人ベロニカの母親だった。さらに彼に送るとされたのは、高校時代の友人エイドリアンの日記だった。ベロニカはトニーと別れたあと、エイドリアンの恋人となっていた。その日記が、なぜベロニカの母親から送られることになったのか。トニーは日記を持っているベロニカに会いに行くが。

淡々と物語が進む、とみせかけて、いろんな仕掛けが実はあり(何も書けませんな、そうなると)、ラストはちょっと衝撃的。
謎解きの要素もたっぷり。
そして、人間の記憶とは曖昧なもので、自分にとって好ましいものしか覚えていないのだ、すなわち、都合の悪いことは簡単に忘れてしまうものなのだ(それがたとえ相手をどんなに傷つけるものであったとしても)ということを思い知らされる。

土屋政雄の翻訳は、ここでも冴え渡ってます。と思います。原文読んでないからわからんけど。日本語としてとてもすすすっと入ってくる。うまいなあ。

【こうしてお前は彼女にフラれる】ジュノ・ディアス(都甲幸治・久保尚美訳・新潮社)

新潮クレスト・ブックスのシリーズは、まずハズレがない。まあ「ハズレた」と思っても、自分の感性とは合わないのだねえ、とうそぶいていられる。

【こうしてお前は彼女にフラれる】ジュノ・ディアス(都甲幸治・久保尚美訳・新潮社)

ニュージャージーに住むドミニカ男、ユニオールが語る、いろんな女たちとの物語(ときどき話者が変わるのですが)。

アメリカに住むドミニカンの生活。プエルトリカンとは違うのですよ。そして独自の文化を持って、などという悠長なこともないのです。
ぶばばばっと溢れ出す言葉の数々(ほとんどの会話体に「」がつかない)に酔いしれるのもよし。
異文化、ということに思いをはせるもよし。

しかし、それよりもぶっ飛んだところに、ユニオールは存在する。とても追いつけない。


【また、桜の国で】須賀しのぶ(祥伝社)

表題だけみると、なんだか国粋的な話なのかなと思ってしまいましたが。
主なる舞台は、ナチスドイツが台頭してきた時代のポーランド。
外交書記生として赴任してきた棚倉慎が、ポーランドのために力を尽くすさまを描いた感動作です。

ロシア人の父を持つ慎は、子供の頃、ポーランド人の孤児施設から抜け出した子供を匿ったことから、ポーランドへの執着が始まった。そして長じてのポーランド赴任。しかしその国は、ナチス・ドイツの標的となっているのだった。

ホロコースト、ゲットー。ワルシャワ蜂起。
様々な悲劇が起こる。その中で自身のアイデンティティを確かめようとする慎。
そして昔匿った子供のその後。

感動的な話。ではあるんですけど。ちょっと日本人びいきかな。というか、外交官を美化し過ぎかな。まあ、それも小説としてはありでしょうけど。
そして、ショパンが象徴的に語られるんだけど、それもちょっとどうかなあ。

とはいえ、久しぶりにずっしりと重たいものを読んだ気分になりました。
たまにはいいもんです。分厚いものを読むのも。

【室町無頼】垣根涼介(新潮社)

まあぼちぼちと読書復活。

今年の直木賞候補作を順番に読んでみようと思ったのだった。
ただ、芥川賞候補作と違って、どの作品も「分厚い」単行本なのである。
さらに、すでに人気の高い作品ともなっている。
ということは、図書館で借りようと思っても、順番待ちが何十人も居たりするのである。

というわけで、受賞作が決まるまでに全部は読めないことでしょう。それでも候補作を楽しむというのはよろしいわけで。

【室町無頼】垣根涼介(新潮社)

応仁の乱が勃発する前触れとも言うべき時代。何年も飢饉が続き、しかし幕府はまともな手立てを打つことも出来ず。京都の町は荒れ果てていこうとしている、そんな時代。
町の警護を司る骨皮道賢(実在の人物らしい)は、元無頼の徒。そのような輩に頼るしかないほど町は荒れていたのだ。そしてもう一人、こちらは飄々として町を自在にうろつきまわる(ただし剣の腕前は超弩級)蓮田兵衛(こちらも実在した?)。この二人の間で、棒術の無敵の使い手となる「吹き流しの才蔵」。いや、この才蔵が主人公なんですけどね。
道賢と兵衛の二人の目的は、今の腐った幕府に変わる新たな社会秩序を作ること。
そのために才蔵を育て、そして今日の街で動乱を起こすクライマックスへ。

エンターテイメント性抜群の本ですわ。もう、一気に読ませてしまいますね。
才蔵の棒術の修行も読み応えあり。さらに美貌の芳王子という遊女まで出てきてね。道賢も兵衛も才蔵も骨抜きにされるという場面もあったりして。

歴史には疎いんだけど(特に日本史は)、この前に「応仁の乱」(呉座勇一著・中公新書)を読んでいたので、ある程度はついていけましたね。
まあ、いろんなご都合主義的なところはあるんですけど、それは置いといて、楽しく読んですっきりする小説でしょうね。

ただ惜しむらくは。
道賢、兵衛が最も忌み嫌っていた、当時の社会制度の上に立つひとびとのことが殆ど出てこないことかな。まあ、それは庶民には目にすることも出来ない、ということで納めるしかないのかも。

2017年1月4日水曜日

芥川賞候補作

次回の芥川賞の候補作品を読んでみました。
自分なりの感想です。(読んだ順に紹介)

【ビニール傘】岸政彦(新潮2016年9月号)

いきなりの大阪弁。舞台は大阪。それも西九条とか新地とかですか。
飯場で働く男と、就職で都会に出てきたけれど、初め美容師→新地のガールズバーになってしまい、引きこもりになってしまう女。で、女は故郷和歌山の村へと帰る。
話し手がコロコロ変わって最初は戸惑ったけど、だんだんその面白さに入っていけますね。
でも、後半がなあ。どっかで聞いたような話に落ち着いてしまってるような。という残念さ。

【しんせかい】山下澄人(新潮2016年7月号)

自給自足をしながら脚本と演技を学ぶ、というのに応募したら合格。集団生活の二期生となった主人公。その生活。
期せずして、再び大阪弁。しかし舞台は(おそらく)北海道。馬も出てくるしね。
で、文体というか(括弧書き省略みたいな)は、目新しいんだけど、物語としてはどうなんでしょう。

【カブールの園】宮内悠介(文學界2016年10月号)

日系三世のレイは、IT関係の仕事をしているらしい。幼い頃から太っているのを気にしている、らしい。それでいじめにもあっていた。と自分では思っていたが、どうやらそれは「人種問題」であったらしい、ということに今更気づく。では自分の根っこはどこにある? ということで元収容所にやってくる。
なんて、なんかありがちなんですけど。自覚なく、というところが新しいのかな。

【キャピタル】加藤秀行(文學界2016年12月号)

大阪、北海道、アメリカ、と来て、次はタイです。コンサルティングファームで7年勤め上げたおかげで得られた1年の休暇。バンコクのアパートで安穏とした日々を過ごす須賀に、元先輩から頼まれごと。先輩が採用した有望な女子コンサルティングが、事故を起こした上に入社を断った。その理由を調べてほしい。暇をかこっていた須賀はその才媛アリサに会いに行く。
謎解きの面白さもあって、これはなかなか、と思いましたが。謎は謎のままで置いておいた方がよろしい場合もあるのですなあ。現代の企業小説と読めなくもないけれど、それだったらこの分量は短かすぎ。

【縫わんばならん】古川真人(新潮2016年11月号)

日本に戻ってきました。九州ですね。方言だらけ。敬子婆さん(あえて婆さん)の独白っぽいところからはじまって、次の章ではその妹の多津子ばあさんの話。そして最終章では二人のお母さんのお葬式。それぞれの場面で、いろんなひとの想念が入り混じり、時空を超えて話が進み、気がつけば元の場所。最後の葬式の場面は「ダロウェイ夫人」ぽい、と思うのはどうやら私だけのようです。
でもおもしろい。
これ、受賞するかな。。。。(予想)


東大阪市の図書館は、今年から年末年始も休まず開館。すなわち大晦日も元日も開館していました。何という行き届いたサービス。(元日から図書館行きました)
でもね、正月三が日ぐらいは休んでもかまわないと思いますよ。
人もいなかったし。

それよりも嬉しいのは、上記5冊の文芸誌を貸し出してくれたこと。
図書館によっては、雑誌の貸出は原則していません、というところが多いのですね。
大阪市もそう。大阪府もそう。
でも、雑誌だって、家でゆっくり時間をかけて読みたいもの。とくにこういう文芸誌はね。
その点は、ありがたいです。ありがたいありがたい。
今年もよろしくお願いします。

2017年1月2日月曜日

謹賀新年

もしかして、ひょっとして、万が一、このブログを読んでくださっているみなさま
(と、見ているということはそういうことなんだけど)

あけましておめでとうございます。

しばらくぶりの投稿です。
投稿が滞っていたのは、健康上とか、社会通念上の故障とかではなく、

「めんどくさかったから」

ということだけで。。。。

昨年9月頃、Seriaという100均ショップで「368ノート」というのを売っている、というのをウェブで見かけ、
これがどうやら”ほぼ”「ほぼ日手帳」らしい、という触れ込みだったので、
試しに買ってみたのですね。

そしたら。
気に入ってしまいました。
久しぶりに、毎日手書きで何かを書く、ということを思い出し、
その煽りで、こちらの書き込みがおろそかになりました。

前の書き込みが10月。
すっかりペナントレースも終わり、フィギュアスケートも、年内の熱戦は全て終わり。
ああ、涙涙の日々がいろいろありましたが。
それもこれも去年のこと。

今年も折りに触れ、何かを書き続けられればと思いつつ。
とりあえずは、新年のご挨拶でした。

↓↓今年の年賀状↓↓


本年もよろしくお願いします。