2015年1月29日木曜日

【エヴリシング・フロウズ】津村記久子(文藝春秋)

呑気に本なんか読んでる場合じゃない、のかもしれないけれど、なにが出来るわけでもない。仕方なく本でも読もう。

本を開いて、見取図を見れば、地元民ならそこがどこか一目で分かる大阪の下町。かつては渡し船があり、今はループ橋(眼鏡橋と呼ばれる)が掛かる川を渡ると、大きな工場、そしてイケア。

そんな下町で、中学3年生になったヒロシ。同級生たちや塾友だちとの日々。
みんなはこれからどこへ向かうのか。

いじめあり、DVあり、と、ちょっと読むと普通の青春小説。
でもそこは津村流に、心の動きを辿っていっています。

この小説の中では悪者だけど(名前忘れたけど)、ちょっとカッコよくてモテ系で、自分に自信があって、その自信を保つことに一生懸命で、そういう自分と価値観が違う奴を見ると我慢できなくなってしまう、というキャラは、どこか普遍的に「どこにでもいる奴」を思い浮かべてしまいます。その人の存在を否定はしないけれど、「どっか、ちゃうんちゃう?」と言ってあげたい。
そこがこの作品を、大きくしていますね。

いつか、この「眼鏡橋」に行ってみたい、と思いますよ、きっと。すぐ近くなんやけどなぁ。


2015年1月19日月曜日

【夜はもう明けている】駒沢敏器(角川書店)

もういっちょ、駒沢敏器作品。
これが初小説だそうです。

舞台が沖縄から始まるので、あ、さすがに、と思いましたが、舞台がどこかということはあまり意味がなかったようです。

夫とわかり合えることができずに、一人沖縄へ行く麻子。そこで不思議な体験をすることになり、何かを心から取り除かれたようになります。
その(元)夫、ライターの隆司は、元音響技師から高級アンプを借り受けます。しかしその元技師は、麻子と別れたことを知り、「あなたに貸すべきではなかった。間違っていた」と言うのです。

ううむ。
多分に感覚的な小説ですね。
ヒーリング小説家と思いきや、ややシニカルに世の中を見ていたり。

連作というか、それぞれの物語が有機的につながっているのですが、どうもいろんなことを書こうとして、ごった煮というより「闇鍋」状態になってしまっているような印象が拭えません。
おそらく、この著者の中に、書くべきことが多すぎたのでしょうね。
それぞれ別の物語としてもよかったかも。短編のほうが面白くなったかもしれません。

【アメリカのパイを買って帰ろう】駒沢敏器(日本経済新聞出版社)

「沖縄 58号線の向こうへ」という副題のついたルポです。
58号線というのは、沖縄の中心を走る国道で、もともとは軍用1号線だったということです。つまりアメリカ軍御用達の道路。

沖縄の人たちが「ふるさとの味」として、帰省した時には必ず食べる(またおみやげに買って帰る)パイを目にした著者が、なぜ「アメリカのパイ」が沖縄のふるさとの味なのか、という疑問を持ったところから始まる、沖縄の戦後文化史です。

著者は何度も沖縄に足を運び、地元の人達の声を丹念に拾い集めて、沖縄の戦後史、特にアメリカ軍とどのように付き合ってきたのかを探ります。

そこで浮き彫りになる沖縄の抱える問題の大きさ。というのはあるとして。
もっと迫ってくるのは、置かれた状況を受け入れ、自分たちのものとしてしまおうという沖縄の人たちの力強さ、たくましさです。

著者の取材姿勢が、沖縄とそこに住む人たちに対してのリスペクトがきちんとあって、そのうえで自分の意見もはっきりと言う、というところが、とてもいいかんじです。もっと読みたくなりますね。

直木賞

サラバ!
直木賞受賞、おめでとうございます。

「贔屓目やけど」なんて、失礼なことを書いてしまいましたm(__)m
自分の気に入った感動した感じ入った本が、大きな賞をとるのは、他人ことながら自分のことのようで(^_^;)とても嬉しいです。
特に最近は、自分の好みと全く合わない評価がされるということが多かったので。

それにしても。
最近の直木賞の傾向を見ると、どうやら時代小説の評価が高いようやし、その中でも「武士道」とか「男の生きざま」「女の生きざま」のような、やや道徳的な方向が多かったように思うので(勝手に思っているだけです)、今回のように現代を舞台にし、しかも異なったアイデンティティを受け入れようという物語が評価されたのは、なんというか、ちょっと「やったあ!」と言いたくなるくらいです。

たいがいの場合、「受賞作を読んでみる」ということしかしていないのですが、今回は先に読んでいて「面白かったで~」と思った作品が後で受賞が決まる、なんてことで、これも自分の中では今までなかったことなので、ちょっと、嬉しいです(^^)。

2015年1月15日木曜日

【サラバ!】西加奈子(小学館)

ついに読みましたよっ!
「サラバ!」
ちゃんと「!」もつけないとね。

西加奈子のデビュー10周年記念超大作。なんて大げさに言わなくてもいいと思うけれど、読み終わったら大げさに言いたくなるくらい、ほんまに、今までにないくらいの骨太な作品になってました。

「僕はこの世界に、左足から登場した」
の一文から始まる、主人公「歩」の自叙伝。

いままでのこの作者の作品にはなかったような、具体的な出来事(イラン革命、エジプトのテロ、阪神大震災、地下鉄サリン事件など)を取り入れつつ、しかし作品はさらに普遍的な思想を模索しています。もちろん「歩」くんが模索するんだけど。

そして、相変わらずの登場人物のキャラクターの見事さ。トラブルメーカーのような姉。奔放ともいえる母とその姉妹。仏のような父。そしてそして、街の顔役「矢田のおばちゃん」の強烈さよ。
みんなが「歩」くんを困らせていくように見えて、実は一番情けないのが本人やったりして。
さらにさらに。そんな「歩」くんを励ますような人たち(須玖くん、ヤコブくん)。

内容は・・・読んで下さい。上下巻、それぞれ350ページ超の大作やけど、読み出したら止まらなくなるかも。

読み終わって、もう2日になるのですが、「あなたはいつまで、そうなの?」という声が、日に日に強く聞こえてくるような気がするのです。恐ろしい小説です。


今の世の中、どこへ向かっているのかよくわからない状態です。今自分が生きている意味は何なのだろうと考えずにいられません。
だから読みたい。こんな本を。

贔屓目やけど、直木賞とれへんかなあ。

2015年1月10日土曜日

【地球を抱いて眠る】駒沢敏器(小学館文庫)

90年代なかばに著者が体験した7つの旅物語。ここでいう「旅」とは、いわゆる「心の旅」と読み替えてもいいかもしれません。

東京での「退行催眠」体験。
屋久島で500個の風鈴を吊るして自然の音を感じる体験。
サンフランシスコの白人だけの禅寺。
長野での大地のヒーリング。
バリ島の呪術師。
ハワイの「石」にまつわる言い伝え。
オーストラリアのヒッピーコミューン。

やや胡散臭い内容も含まれます。内容は胡散臭いのですが、著者の語り口はその胡散臭さも認めた上で、謙虚であるし、視点は平等であろうと務めています。といって、ただ事実をありのままに伝えるだけではなく、結構はっきりと自己主張もあります。ヒーリングといっても、何も感じなければ「何も感じない」とはっきり書いていて、それがかえって文章に信頼をもたせることになっていると思います。オーストラリアの話などは特に。著者のがっかり感がよく伝わります。

面白かったのはハワイの石伝説。命あるものが死んだ状態(貝殻など)は恐ろしくない。もともと命を持たない「石」は、恐ろしいという考え方。
そして運命をその「石」に託すというか、「石」のせいにする人間の心理。著者もそのひとりになった(?)ところ、ドキュメンタリーを超えた小説のようなものになっています。

2015年1月9日金曜日

【旅をする裸の眼】多和田葉子(講談社)

どんな考え方を持つのも人の自由ですが、他人を傷つける権利は誰にもないと思います。それは宗教ですらないと、わたしは思います。


「旅をする裸の眼」で、多和田葉子クールはひと段落です。
先に読んだ「変身のためのオピウム」とは違って、かなり具体的な物語から始まります。

ベトナム生まれの主人公の女性は、東ドイツの社会主義青年党(多分)の講演会に招かれてスピーチをすることになります。
その講演会の前日、ホテルのレストランで知り合った男性と食事をします。男性とウォッカを飲み、音楽に包まれているうちに、どういう成り行きか自分でもわからないまま(意識もないまま?)に「西側」に行くことになります。

さて。ここからが多和田ワールド全開です。
気がつけば西ドイツ。そこからなんとか「モスクワ」に行こうとして、電車に飛び乗ったら、それは逆方向で、彼女はパリへ。

パリでの生活は(パスポートもなく、言葉もわからないから)不自由なことが多く、映画を見る日々。
映画の中で起こっていることと現実との境目が、だんだん曖昧になってしまいます。

そういうわけで、はじめのうちは「多和田葉子にしては珍し」と思いつつ読み始めるのですが、途中から、突如として場面が変わったり、関係のない人の会話が挿入されたりと、いつもの作風に振り回されることになります。それが気持ちいい。

そしてラスト。今まで読んできた話は、一体どこまでが現実だったのだろうという不思議な感覚。本の中に起こっていることはもちろん現実ではないのだけれど。

ほんまにこの人の作品は、うっかり読み飛ばすということを許さないものばかりです。今雑誌に連載中の作品がまとまったら、また読んでしまうでしょうね。

2015年1月8日木曜日

【変身のためのオピウム】多和田葉子(講談社)

これはどうも、なんと言っていいのやら。
えっと、概要をお話するのも難しい。
22章に分かれて、22のギリシャ神話に基づく女神の名前を冠した女性たちの物語が続く連作短篇集。なのですが。

内容は、と改めて訊かれると困る。
はっきり言って、これといった筋はありません。
それどころか、語り手の「わたし」が一体誰なのか、私には最後までよく分かりませんでした。

しかし。
それぞれ短い話なのですが、その中にある言葉の数々は、なんとそれぞれが輝いていることか。
といって、「詩」ではなく、あくまでも「物語」であるところが変わっているなと思います。

ああ、つまりは、これは「多和田語」を楽しむ本、といえるかもしれません。
こういう本は、他にはあまりないかもしれません。
ああ、シュールレアリストは、こういうのを書くのかも。

2015年1月6日火曜日

【容疑者の夜行列車】多和田葉子(青土社)

「夜行列車」をキーワードにした、13の短篇集。
舞台がほぼ外国の、多くの日本人には馴染みのなさそうな場所になっているのは、この作者ならではという気がします。

夜行列車という、寝ている間にどこかに連れて行ってくれる(連れて行かれる?)空間の不思議さが、そのまま物語の不思議さに重なって、独特の雰囲気を漂わせていますね。

今年も多和田追っかけは続きそうです。

2015年1月3日土曜日

【エクソフォニー 母語の外へ出る旅】多和田葉子(岩波書店)

昨年にひき続いて多和田葉子フリークになっています。

「エクソフォニー」とは、母語以外で語る、あるいは生活する、つまり「母語以外」というような意味だそうです。他に聞きなれないので、あまり使われることはないし、だいたいそんな感じ、でいいのではないかと思います。

いかにも曖昧な説明で申し訳ないですが、ずっとこの本を読んでいると、そういう曖昧さが大事なのかもしれないなと思います。

ハンブルクで生活をし、ドイツ語でも日本語でも著作をする著者の言語エッセイですが、「研究者」ではない視点がとてもいいです。それぞれの言葉言語の違いだけを話題にするのではなく、その裏側も表側も視点に入っているところが、ためになるし面白いし。

そしてこの人ならではの言葉の見つけ方、表現も随所に出てきて(例にあげたいくらいだけれど多すぎて無理)、多和田フリークとしてはこの上なく嬉しいですね。

違う言語を包括するのではなく、その隙間で生きている。という視点が新鮮でした。
それは「言語」にとどまらない話なのではないか、と思います。どのみちわたしたちは世界すべてを覆い尽くすことはできず、その隙間隙間をどう生き抜いていくか、という人生なのではないかと。
ちょっと、飛躍しすぎでしょうか?

2015年

あけましておめでとうございます。
もう3日になってしまいましたが。

今年も沢山の本を読み、映画を見、音楽を聞き、お気楽に生きたいと思っています。それは、今の世の中では、なかなか大変なことでもあるのですが。。。。



今年もよろしく。