2014年9月16日火曜日

【獣の奏者】上橋菜穂子

ちょっと秋めいてきましたかねえ。すでに9月も半ばを過ぎましたし。名月もスーパームーンも終わってしまいましたね。

何度も「今度こそ継続して書くようにしよう」と思うのですが、思いつきはすぐには実行に移すことができず、今に至っています。もう何度も決心した自分が情けない。もうあまり自分を信用しないほうがいいのかもしれませんね。55歳を過ぎて、未だにこんなことで悩んでいるのです。多分一生悩み続けるのでしょうね。いやはや。

【獣の奏者】を続けて読みました。「闘蛇編」に続き「王獣編」さらに「探求編」「完結編」まで。

いちおう「王獣編」までの2作で一段落なのですね。そこで語られていたのは、ある王国の物語。そして、避けられない運命。分かり合えない「獣」と「人間」の世界。そしてほんの僅かな希望。
人として生きていくためには避けられない生き方。あまりにも厳しい現実。

「闘蛇編」では、王国リジェを守るために育てられる「闘蛇」、その生育を任されているエリンの母親が、多くの闘蛇を一夜のうちに死なせてしまうことで罪に問われ、残酷に処刑されてしまいます。残されたエリンは、見知らぬ養蜂家に育てられ、やがて生命の不思議に触れていきます。
「王獣編」では、王国の象徴として飼われていた王獣が、実は闘蛇をも凌駕する力を持っていることが分かり、さらにエリンはその王獣のうちの一頭リランを育てることになります。リランと心を交わせるようになればと願うエリンですが、それは恐ろしい運命の扉を開くことにもなるのです。

こんなもの、こどもが読んでも分かるのかいな。と思いますが、作者は、分かってくれようがくれまいが、そんなの関係ないと思っているかもしれません。心に残る物があればそれでいいと思っているのかも。

たしかに、心に残るものがあります。大人が読むと、余計に。

続編として書かれた「探求編」「完結編」は、さらに難しい。成長し、息子を設けたエリンが、昔からの言い伝えをひとつずつ解き明かしていくさまが中心なのですが、ファンタジーなのに、血沸き肉踊るような場面は、最後の方になってやっと出てくるだけで、多くはこの作品世界の成り立ちや、過去の悲劇がどのように起こったのかの謎解きになっています。そして巻き起こるあらたなる悲劇。

ちょっと都合が良すぎる、というところもありますけれど、これもまあ小説ですから。
それに、作者が伝えたかったことは、はっきりと伝わります。それはもう、何の隠し事もなく、というかたちで。

2014年9月9日火曜日

映画【ものすごくうるさくて、ありえないほど近い】(2011年・アメリカ)

中秋の名月です。外に出たら、大きなお月様が出ていました。


で、月だけ撮っても芸がないですね。面白みがないというか。撮った時は「きれいに撮れた!」と感動モノだったのですが。


テレビで放映していた【ものすごくうるさくて、ありえないほど近い】を見ました。
原作を読んでいたので、どんなふうに映像になっているのか、とても興味がありましたね。
公開時、マックス・フォン・シドーが、最年長でアカデミー賞にノミネート、というのも話題になっていたし。きっといい映画なんだろうと。

で、確かにいい映画でしたね。
子役のトーマス・ホーンがとてもいい。これ、どうしてこの子が何かの賞をとるとかなかったのかなあ。

原作は、出版された本の可能性を広げようとしているような、そんな書き方というか体裁がとても斬新でしたが、さすがに映像ではその斬新さはなくなってしまいますね。
それと、原作では9.11と、おじいさんが体験した第二次大戦での出来事とがどこかでつながったこととして、重層的に語られるのですが、映画ではおじいさんのエピソードはほんの背景になってしまっていたのが、ちょっと残念かな。
でも、映画の長さを考えると、致し方無いですね。

それでも、原作も持っていた一つのテーマ(だとわたくしは思う)である、「分かり合うこと」の難しさと大切さは、よく伝わっていたと思います。
映像も丁寧で、音楽も押し付けがましくなくて、よかったです。

ああ、自分で書いて、よく分かりました。
この映画、押し付けがましさが無いですね。映画の中の時間は、ゆったりと流れているように感じられるし。そこがいい。