2014年2月25日火曜日

【ユリシーズ(1~3)(4~6)(12キュクロープス挿話)】ジェイムズ・ジョイス(柳瀬尚紀訳・河出書房新社)

今年の目標(読書)は、ユリシーズを読むことと、プルーストを読むことです。1年の間にこの2作品を読破できれば、いうことはないですね。どう言うことがないのかは微妙なところですが、ともかくも「みんな知ってるけれど読みこなすのは難しい難解な作品」で、「20世紀に生まれた最高傑作」で、ということになると、ともかく読み終えたら何かが見えるのではないかという期待が大きいです。期待しすぎるのも良くないでしょうが。
さて、「ユリシーズ」はどういう話かというと、一言ではうまく言えません。おそらく百言を尽くしても言えないでしょう。この無知なる一読者では。話の概要は、ダブリンでのある一日を、スティーブン・ディーダラスという人と、レオポルド・ブルームという人を中心に、事細かに描いて、しかも文体としては英語の持つ可能性をとことん追求して書かれている、ということぐらいしかわかりません。有名なのは最終章の「ペネローペ」で、翻訳されたものは数十ページにわたって句読点がひとつもない文章になっているということですね。それってでも、本編の内容とは関係無いですな。ともかくそういう文体を駆使して「意識の流れ」の手法を追求したエポックメイキングな作品、という触れ込みになっています。
ここまで書いてきて、さて何が言いたいのかはよくわからないでしょう。わたくしにもよく分かりません。ともかく「読んでみなければわからない」ということですね。はい。

翻訳は何種類かされていて、有名なのは丸谷才一氏が中心となった訳ですね。こちらも平行して読んでみました。というか、今読んでいる途中ですね。やたらと注釈が多い翻訳で、それもしかたがないと思わせるほど、文章が込み入っているんですね。ある一つの文が何かを象徴していたり、掛詞だったり言葉遊びだったり、突然語り手が変わったりだとか。
で、柳瀬尚紀氏訳は、注釈が一切ありません。それどころか、まえがきもあとがきもなく、本のカバーにちょっとだけ今までの翻訳とどう違うかということが触れてあるだけ。あとは翻訳で楽しんでもらいましょう、という意気込みが感じられます。そしてある程度、成功しているといえるんでしょうね。まあ、原文がどんなのだかわかないから、無責任に褒めるのもどうかと思いますが。

そして、柳瀬尚紀訳の方は、「ユリシーズ」のうちの一部分しか翻訳・出版されていないのですね。前半の6章と、何故か途中の12章のみ(18章まである。翻訳された部分はとても短い)。
で、この(全部合わせて)7章を読んだだけで、どうなのかというと、まあよく分かりません。そこで丸谷才一訳も並行して読もうとしたのですが、これもまたよく分かりません。朝、ディーダラス氏が起きました。ブルーム氏も出かけました。友達の葬儀に。そして酒場に行きました。途中でいろんな人に会いました。色んな話をしました。はい、おしまい。そんな感じです。
読みようによっては、その場に居るような気分になるのでしょうね。それが「意識の流れ」のキモではないかと、勝手に思っているのですが。なんともへんてこりんな読み物を書いたものです。この発想が突き抜けていますね、どこか。

ともかくも、この断章だけでは物語の一旦というか、作品のほんの一部分にしか触れられないので、全体を読んでみたいと思っています。丸谷才一ほか訳(集英社版)は、ようやく14挿話まで読んだところ。ちょっと一休みします。いや、本当はだらだらとしかし一気に読むのがいいのかもしれませんね。なにしろこの長編は1日分のことしか書いてないんですから。

2014年2月23日日曜日

【とっぴんぱらりの風太郎】万城目学(文藝春秋)

連日のオリンピックに熱狂したりがっかりしたり勇気づけられたりと忙しい毎日です。
そんな時に限ってパソコンが不調。もう何回目かの「ユーザープロファイルの読み込みに失敗しました」メッセージが出てログインできず。毎回やり方をいろいろ考えて(ウェブで検索などして)再ログインを試みているのですが、今回の方法は、ログイン出来ないプロファイルを削除して再ログインするというもの。再ログインの際に新たにプロファイルが作成されるので、これで無事ログインできますということです。
で、そうしてみました。
すると。再ログインに成功。ただし、以前のプロファイルは削除されてしまっているので、ほぼ一からパソコンの設定をしなければなりません。で、普通に保存していたファイルなどもほぼ全く削除されてしまっていたのでした。場所はユーザーフォルダ。プロファイルを削除する過程で、ユーザーフォルダそのものも削除されていたのでした。でも大事なファイルは保存していないはず。と思ったら、読書データがそこに入っていたのですね。でもドロップボックスフォルダに入っていたはずだから、ウェブ上に同期ファイルがあるはず。で、ドロップボックスを起動してファイルをダウンロードしました。
って、最後の同期が1月半ばなのでした。つまり1月中旬からのファイル更新がされていないのでありました。とほほ。
そんなわけで、読書データをこのブログから再構成。ウェブ上のストレージというのは大事やなあと思ったのでした。

【とっぴんぱらりの風太郎】万城目学(文藝春秋)
直木賞候補になりましたかね。大して術のうまくない伊賀の忍者風太郎が、江戸時代はじめの京都、大阪でいろんな人(じゃないもののけとかも)に振り回されるという話。伝説の忍者「果心居士」の片割れと名乗る「因心居士」というひょうたんのもののけに、うっかりと頼りにされてしまう風太郎。かつての忍者仲間たちと謎の「ひさご様」を守ることになる。そして大阪冬の陣、夏の陣が巻き起こり、否応なくその渦中に巻き込まれることに。
ちょっと情けないキャラの主人公が、周りの人たち(とかもののけとか)の力を借りて(あるいは運良く)目的を果たすために活躍する、というパターンはいつもどおりかなあという気もします。もちろん物語の構成としては鉄板なので申し分ないのですが。とにかく長い長い。いろんなシーンは読み応え十分なのでこの長さも納得するにはするんですけど。最終章の戦闘シーンは、ちょっと疲れてしまいました。最後の最後で「これでもか」という仕掛けがいっぱいありすぎてね。
それにしても、大阪城が好きそうですねえ、万城目さん。ここから「プリンセス・トヨトミ」につながっていくのかな。取っ掛かりがどんなだったか忘れてしまったので、なんとも言えないのですが。

2014年2月19日水曜日

【聖なる怠け者の冒険)森見登美彦(朝日新聞出版)

オリンピックにかまけてしまって、というか、時間の使い方がどうしてもオリンピック中心になってしまっているのである。TVをつけるといつもオリンピックオリンピックなのだから仕方がないといえば仕方がないのだが。
それにしても、ニュースの中心がオリンピックで、それに時間を使うものだから、雪のニュースとかバリ島の遭難のニュースだとかが後回しになっているような気がする。まあどのニュースに重きをおくかというのは好き好きなのだろうけれど。今も雪の中で孤立している人がいるかもしれない。そんなことをちょっと考えてしまうのである。

森見登美彦は面白い。舞台はいつも(ほぼ)京都。そしてこの京都という街の持つ不思議な感覚をどこまでも作品の中に取り込んでいる。自らは「妄想作家」と呼んでいるそうだが、妄想がここまで来ると気持ちがいい。ハマってしまうと抜けられない。はい、はまっています、わたくし。
今回の話は京都の街に出没する「ぽんぽこ仮面」、怠けることにかけては人に負けない小和田くん。道に迷うことが得意な(?)週末アルバイト探偵の玉川さん。何をしているかよくわからない五代目。そんな人達が祇園祭の宵山を巡って交錯する世界。
もう何がなんだかよくわかりません。SFと言われればSF。ファンタジーと言われればファンタジー。ユーモア小説と言われればユーモア小説。ともかく「意外な展開」と一言で済ますのはもったいないくらいの幻想妄想のてんこ盛りです。
朝日新聞に連載していたものを、一から書き直したという根性にも脱帽です。もうこの作家から目が離せませんな。

2014年2月17日月曜日

【メジャーリーガーの女房】田口恵美子(マイコミ新書)

連日、ソチオリンピックで寝不足です。というほど実は寝不足にはなっていないのですが、なんとなく毎日フワフワとした気分なんですね。もちろん日本代表勢がメダルをとってくれているおかげです。みんな頑張ってます。
その上、ここのところ不安定な天気も続いています。なんだか世界がおかしくなっているんじゃないかと勝手に思ったりして。まあ、こんな時もあるんでしょうけど。

【メジャーリーガーの女房】田口恵美子(マイコミ新書)
昨年現役を引退した田口壮の奥さんのエッセイです。元アナウンサー。メジャーリーガーの暮らしぶり、マイナーに落ちた時の扱いの違いとか、あまりスポーツニュースにはなりにくい奥様たちの交流や生活ぶりなどについて、赤裸々と言っていいほど書いてくれています。お世話になった人への思い、だけじゃなくて、嫌な思い出も隠さずに。いやあおもしろい。
内容もさることながら、その文章力にも驚きます。読ませる文章を書きますねえ。これからももっともっといろんなところで活躍してほしいなあ。

2014年2月8日土曜日

【ホモ・ファーベル】マックス・フリッシュ(中野孝次訳・白水社)

外は雪です。20年に一度の雪になりそうだということですね。かなわんなあ。こういう時は外には一歩も出ずに家で読書、といきたいのですが、そういうわけにもいかないようで(詳細は伏せておきましょう)。

白水社が出版していた「新しい世界の文学」のシリーズの一冊。
「新しい」といっても、このシリーズが出版されたのは60年代ですから、その時点での「新しい」ということですね。もちろん、今でも新しさを感じさせる作品もたくさんあるわけです。(ちなみに、このシリーズの一冊にサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」もあったのですね。)

さて、この一冊。マックス・フリッシュはスイスを代表する作家。物語は主人公のファーベル氏の独白というようなもの。思いつくままに、といったふうに主人公の物語が続く。大した事件は起こらないのかなと読み進めていると、かつての恋人ハンナとの思い出となり(第二次大戦前で、ユダヤ系のハンナと結婚しようとしてできなかった)、そしてその後に出会ったエリザベートという娘との恋となり、実はそのエリザベートは。。。というところから、サスペンスなタッチにもなってくるのですね。そして悲劇。その前後の時間の感覚があれれれれ、となるその雰囲気がいいです。ただ、この主人公の生き方には共感できませんけどね。

2014年2月1日土曜日

【孤島】ジャン・グルニエ(井上究一郎訳・筑摩書房)

ジャン・グルニエというのはフランスの哲学者、作家で、カミュの先生らしいです。
「孤島」は、小説のようなエッセイのような独白のような、なんと言っていいかよくわからない作品群でした。人生とは、ということをちょっとのんびり考えているような。
「孤島」を「孤独」と読み変えても。。。と思いましたが、そういうことは考えないほうがいいのかな。
中で「猫のムールー」の話がなかなかいいです。内容もこの本の中では易しい。猫のことを書いて、これだけ静かな話はちょっとないかもしれません。感情移入し過ぎることなく、淡々とその生を(そして死を)見つめています。

アバドのモーツァルト:レクイエム(2012年 ルツェルン音楽祭)

今年、合唱団でモーツァルトのレクイエム(いわゆるモツレク)を演奏するのです。本番はまだまだ先なんだけど。今、練習の真っ最中。
よく知られていることですが、この曲はモーツァルの遺作で、しかも未完成。「涙の日」の途中まで書いたところで力尽きたと言われています。そして未完の部分は弟子のジェスマイヤーが書き足して演奏したのですね。「ジェスマイヤー版」と呼ばれています。
で、この弟子の書いた部分を書きなおして演奏する、ということが時々あります。今度演奏しようとしているのは、ピアニストで音楽研究家のレビンさんという人が改訂した「レビン版」という版です。これ、新しいということもあってなかなか珍しい。そしてなかなか難しいです。
そのほかにもいろんな人の改訂によるいろんな版が存在するのですね。

で、練習している曲だからということもあって、目についた(耳についた?)ものは一応聞いてみようと思っていました。
そして今日。何気なく撮りためたビデオをちょっとかけてみたら、これがレクイエムだったわけです。それもアバドが指揮したもの。そしてジェスマイヤー版じゃなくてバイヤー版での演奏で(どう違うかはWikiで確かめてみてください。わたくしもよく分かりませんのです)、「サンクトゥス(Sanctus)」だけはレビン版という、変則的な演奏でした。
一部分だけでもレビン版が聞けるやん。それもアバドでっせ。

というわけで聞いてみましたが。これがとても素晴らしい演奏でした。
アバドは先日亡くなってしまいましたが、この時はずいぶん痩せてはいるものの、指揮台上での姿はシャキッとしていてカッコ良かったです。ダイナミックスとかリズムとかのメリハリが聞いていて、聴き応えのある演奏でした。
それと、歌がとてもうまかった。合唱はバイエルン合唱団とスウェーデン放送合唱団。コントロールがよくきいていて、しかも無理がない。細かい動きも明確。こういう風に歌えたらいいなと思いましたね。
そしてソリストの皆さん。こういう合唱曲のソリストは(特にオーケストラ伴奏となると)全体のバランスとかハモリとかは横においておいて、とにかく自分の力量を出そうとする演奏者が多いのですが(まあ普段はオペラとかで、目立つ役目を担っているということもあるんでしょうけど)、今回のソリストの皆さんは、一人ひとりがしっかりしていながらも、4人のバランスがとてもいい。ソリストだけでこんなにハモるモーツァルトは(もっと大げさに言えばオーケストラ伴奏の曲は)あんまり聞けないですね。特にアルトのサラ・ミルガンドという人。テナーが歌っているのかと思うくらい声の幅がすごい(だからテナーとよくハモる)。内声(アルトとテナー)がハモるとこんなに気持ちのいい音楽になるのかと思いました。

ルツェルン音楽祭の伝統のようなものかもしれませんが、演奏が終わったあと、しばらくは拍手もブラボーの声もたてないのですね。指揮者がゆっくりと指揮棒を降ろし、ふうーと息を吐いて、吸って、その空気がふわっとどこかに溶けていってから、ようやくパラパラと拍手が始まって、やがて大きな歓声になっていくのですね。いい演奏を聞きました。こういう風に歌えたらいいんですけど、ね。